同じ言葉でも、意味は人によって違う。それが『言葉の獣2』のテーマなのですが、「中傷」や「記憶」も、人それぞれで感覚が違うのです。

『言葉の獣2』あらすじ
言葉の意味を視覚的に「獣」として描ける東雲と、言葉の感覚に優れたやっけん。「言葉の獣」を探すため、ツイッター(X)をはじめた二人。
けれども自分の絵を残したくない東雲はツイッター(X)をやめたいと言う。
さらに「言葉の獣」に関するつぶやきが注目されはじめると、誹謗中傷の言葉を吐く者たちが現れ…。
「中傷」と「ずるい」と「うらやましい」
共感覚の言葉の森では「誹謗中傷の獣」は耳が小さく閉じられている姿。
そのため人の言葉を聞き入れられないんですね。二人は恐怖を覚えながらも、「誹謗中傷」の言葉の真意を解き明かそうとします。
誹謗中傷の獣に声をかけるやっけん。やがて会話の中から、獣が抱える本当の気持ちが明らかになります。
言葉で書く誹謗中傷の意味はひとつですが、その言葉の中には「(注目されて)ずるい」や「寂しい」などの気持ちが入り組んでいます。
やっけんは「ずるい」は卑怯な手段を用いたときに使う言葉だから、「うらやましい」なんじゃない?と語りかけます。
実は「誹謗中傷」は「ずるい」に操られている獣だったのです。
「ずるい」の獣がずるがしこい姿をしているのは、人を貶める行為を表しているからでしょうね。ようやく「誹謗中傷」の意味がわかった二人ですが、今度は「誹謗中傷」の獣が他の鳥たち(つぶやき)に攻撃されてしまいます。
言葉はときに刃となって、自分に返ってくるもの。人を批判している時、自分の言葉はこんな形なのかと思うと、ゾッとしますね。
残したい記録、残したくない記録
次に東雲とやっけんは「記録」について調べ始めます。
東雲は貴重な「言葉の獣」のスケッチも「残したくない」と、描き終えると満足して捨てていまうほど、記録に興味がありません。逆にやっけんは自分の言葉や東雲の絵も「残したい」と思っています。
この違いは一体なんなのか。すると、二人の前によく似た獣が現れます。
私はやっけんのように「残したい」派なので、東雲のように「自分の存在をなかったことにしたい」という境地にはなかなか至れません。
もしかしたら、自分の存在を残したくないというのは一種の悟りに近いのかもしれません。人というの承認欲求の生き物ですから。
ふたりの「記録」の獣は、どんな形をしているのでしょうか。

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